【世界に影響を与えた4人の経済学者】

日常

近代経済学の父『アダム・スミス』

近代経済学の父と呼ばれている、アダム・スミス(1723年〜1790年)は、スコットランド生まれで、世界に大きな影響力を与えた4人の経済学者のうちの1人です。

1776年に53歳で『国富論』を発表し、世界に影響を与え近代経済学の基礎を作りました。

経済学はその時代に応じた処方箋とも言え、これまでの歴史は、試行錯誤の繰り返しでした。

アダム・スミスは当時、最も一般的な考え方であった、輸出を大事にする『重商主義』を批判したのでした。

重商主義の中では、輸入は、支払いで貴金属を使うと富が減ると言う理由で否定的であり、貴金属こそが富と考えられ、輸出で支払われる金銀を得ることが、国を豊かにすると考えられていました。

そんな考えをアダム・スミスは批判しました。
アダム・スミスは、富とは消費財であると考え、輸出だけでなく、輸入で消費財が国内に入ることによっても国は豊かになると考えました。

彼は、私たちにとって、そもそも『富』とは何か?、何が富に当たるのか?と言うのを考え、

彼の定義では、

「富とは、国民の労働で生産される必需品と便益品」

と言うことです。

生活必需品があってこそ富といえ、必需品がなければ非常に貧しいと言え、便益品と言えるいわば贅沢品と言えるもの、これらを合わせて『消費財』と呼び、消費財こそが富であると、アダム・スミスは考えたのでした。

そして、富を増やす具体的な方法として、生産性を高めるための『分業』をが必要だと言うことも思いつきました。

例えば、ケーキ一つをとっても、「小麦粉」を作る人、「牛乳」を作る人、「卵」を作る人、「イチゴ」を作る人、いろいろみんなで役割分担して作っていく。

そうした方が生産性が上がると考えました。

それからアダム・スミスは、「見えざる手」と呼ばれる有名な言葉も残し、

マーケットで売り買いされる商品の値段は、『見えざる手(『需要』と『供給』のバランス)』によって決まり、経済が発展すると考えました。


以後、自由放任にすれば結果的に上手くいくと言う考え方が経済学ではずと引き継がれていき、そう言う学派もその後に生まれました。

この時の彼は、全てを自由放任にすればいいと言っておらず、これだけは絶対に必要だと言っているものが3つありました。

⒈ 国防:国を守ること
⒉ 司法行政:裁判
⒊ 公共施設の整備:公共事業など

社会主義の父『カール・マルクス』

19世紀に入り、本当に資本主義経済はうまくいくのだろうか?

ヨーロッパ、とりわけイギリスの労働者の悲惨な状況を目にして、資本主義は間違っている。
これは何とかしなければならないと、新しい経済理論を打ち立てたのが、

ドイツの経済学者『カール・マルクス(1818年〜1883年)』でした。
出生は、プロイセン、主著に『資本論』があります。

マルクスは、資本主義は、表向きには労働者は労働を提供し、資本家がその報酬を支払う対等の形に見えるるが、実際には、資本家が労働者から搾取をすると資本主義経済を分析しました。

さらに、資本主義経済は格差社会を生むと考え批判し、マルクス主義を創始し、
『資本主義経済は失業者を生み出す』と予言しました。

マルクスの時代は、定期的に『恐慌(社会全体が深刻な不況に見舞われること)』が起きている時代で、その度に大勢の労働者が路頭に迷うと言う状態が続いていました。

マルクスの考えに賛同した労働者は、
これはまずい。資本主義で自由な競争をやらせていると、こんなことが繰り返されてしまう。

世界中で共産党という組織を作り革命を起こし、資本家を追い出して、自分たちで『計画経済(生産数をはじめに決めて、それしか作らないやり方)』の国を作ろうとロシアや中国を代表に社会主義国が誕生しました。

『社会主義計画経済』の国家体制国家体制をとる事によって、労働者が搾取されない理想の世界にし、誤った事件が繰り返されないように考えたのでした。

つまり、

社会主義国家を作ろうとした人たちは、理想の社会を作ろうとしたと言う経緯があったのですね。

しかし、この後、良かれと作った社会主義の体制が、その結果として、技術も経済も発展しなくなったため、資本主義に対して大変な遅れをとってしまいました。

いちばんの原因は、計画経済だと自由な競争がないため、新しいものや良いものを作って売ろうと言う気が無くなった事があると言われています。

マルクスの思想は、時代遅れだよと言って、否定されました。

かつて、社会主義国家の代表であったソ連という国は、完全に崩壊して、資本主義の国になりました。

中国は、共産党体制はそのままにして、『社会主義市場経済(政治的には、社会主義を維持しつつ、民間企業による商品・サービスの生産や販売を認めて、経済成長を図る経済体制)』というやり方を取り入れましたが、

マルクスが資本主義の害悪とした資本主義のいちばんの問題点を描いたそのままの状態が、今の中国各地に見られるようになっています。

しかし、一方リーマン・ショックが起きた2008年、日本では派遣切りが問題となり、

マルクスの思想を再評価する声もありました。

経済政策の常識を変えた『ジョン・メイナード・ケインズ』

マルクスの考え方に対して、

資本主義の欠陥を補う対策が取れれば、資本主義でも十分やっていけ、豊かになれ、失業者を減らすことができると考えたのが、

イギリスの経済学者『ジョン・メイナード・ケインズ(1883年〜1946年)』です。

ケインズは、雇用創出のために、公共事業への積極的な財政出動を主張し、

景気を回復するためには政府が赤字国債を発行して、金融機関や国民に借金をしてでも公共事業をするのが良いと考えた最初の人です。

ケインズの理論は、世界中の政治に大きな影響を与え、これによって資本主義が生き延びたとも言われています。

ケインズが、彼自身の理論を考えるきっかけとなった出来事が、アメリカでの株の暴落がきっかけとなって、1929年から始まった『世界恐慌』でした。

この時、激しい世界恐慌により世界のお金の流れが止まると、不景気と大量に生まれた失業者が溢れ、税収が激減して、国が使えるお金も少ないので、さらに景気が悪化しました。

これを何とかしなければならなかったのです。

しかし、ケインズ以前の世界の国々における『古典派経済学』の考え方では、

『均衡財政政策』を取っていて、政府は税収の範囲でお金を使い、赤字なんてとんでもないと言う考えがあり、

失業者が高いのは、給料引き下げに抵抗する労働組合があったり、安い賃金で働こうとしない労働者がいたりするからだと考えました。

つまり、景気が悪くなっていくのは、労働者が悪いのだと考えたのです。

ケインズは、企業が採用を手控えて、働きたくても働けない非自発的な失業が存在すると考えました。

だから、非自発的失業者を救済する仕組みを作っていくことが、景気をよくしていくことだと主張したのです。

ケインズは、企業にお金が無くて、従業員を雇えないのであれば、政府がお金を出して、雇用が生まれるような仕組みをつくれば良いと考え、そのためには、公共事業が必要だと考えました。

でも、現状は景気が悪いわけなので、政府に入る税金は減っています。

では、どうするのか?

ケインズは、政府が借金をすれば良いと考えました。

『赤字国債』を発行して、金融機関や国民に買ってもらうのです。

そんなやり方があるのか!!!と『ケインズ・ショック』とも呼ばれるほどに世界中の経済学者が驚きました。

そして、ケインズ経済学の考え方に基づいて、アメリカ大統領のルーズベルトは、大規模な公共事業を行いました。

ケインズの理論を取り入れた、『ニューディール政策』で、失業者を雇い、お金が流れるようにしました。

すると、25%だった失業率が、14%まで低下し、これ以降アメリカではケインズ政策が取られるようになり、資本主義経済が好況と不況を繰り返しても深刻な恐慌に陥らないで済むようになりました。

これを『ビルト・イン・スタビライザー(自動安定化装置)』と言います。

日本はというと、

長い間不景気が続いていますが、なぜ公共事業を行なっても景気が良くならないか?

バブルが弾け、日本企業は大きな痛手を受けましたが、それでいくら金利を下げても新しい事業になかなか手を出さなくなったしまったのです。

せっかく公共事業をしてゼネコンなどにお金が入っても、給料などに反映されないのです、

そして、仮に給料が上がっても、多くの人が先行きに不安があるために、消費せず、貯金をしてしまうのです。

そしていよいよ、国の借金は、1000兆円を超えてしまっています。

これは、日本の国民1人あたり800万円の借金で、国家予算の10倍の借金です。

どうすれば良いかというと、

消費性向を上げ、貯蓄性向を下げることが重要と言えますね。

消費性向は、お金をもらったら、そのうち幾ら使うのかであり、

ボーナスが入っても全く使わなければ消費性向は、0(ゼロ)ですね。

貯蓄性向とは、どれだけ貯蓄に回すかであり、全額貯蓄されてしまっては、景気対策にならないと言うことですね。

『景気の気は、気分の気』、

経済とって大切なことは、私たち一人一人が消費するように心がけることだと言うことですね。

新自由主義の旗手『ミルトン・フリードマン』

ケインズの政策によって、マルクスが予言したような恐慌は起きなくなりましたが、インフレーションの傾向が強まったり、各国の財政赤字に悩んだりという状態になってしまうことがあります。

これではいけない、ケインズは間違っていたのだと主張したのがしたのが、『新自由主義の旗手』と言われた、アメリカの経済学者『ミルトン・フリードマン(1912年〜2006年)』です。

フリードマンは、シカゴ学派を率いて、1976年にノーベル経済学賞を受賞しました。

政府は、国民の自由を尊重し、経済を自由にすれば良いと主張しました。

経済をコントロールするには、『マネタリスト』と呼ばれる、『お金の量』を考えれば良いとしております。

マネタリズムというのは、ケインズの主張する公共事業や、累進課税に否定的で、世の中を流れるお金の量さえコントロールしていれば、経済は上手くいくという考え方です。

日本では、この新自由主義な政策は、1996年に始まり、橋本内閣が『金融ビッグバン』と呼ばれる、金融制度改革を行いました。

銀行、証券会社、保険会社などに対する規制を次々と取り払ったのです。
これにより、金融機関の再編が加速していきました。

そして、小泉構造改革では、規制緩和の考え方が雇用政策に及びました。

派遣労働の自由化です。元々は、SEなどの極めて特殊な知識を持った専門職に限られていたのですが、次第に対象業務が拡大して行って、2004年には工場の現場などで働く製造業派遣が解禁され、急速に派遣労働者の数が増加して行ったのです。

その結果、2008年のリーマン・ショックを発端とした景気の悪化により、大量の派遣切り問題が深刻化しました。

これを機に、新自由主義政策に対する批判が高まりました。高く評価する一方で、これは強い立場、有能な人の論理であって、弱者には成り立たない理屈ではないのかという批判も事実だとしております。

経済政策には、必ず副作用があるんだと言うことですね。

また、政府の介入を完全に嫌う完全自由主義者は『リバタリアン』と呼ばれます。

時代によって、様々な思想が描かれ主張があると言うことですね。

2024年、日本では東京都知事や総裁選挙を控え、また時代の転換期の節目を迎えていると言えますね。

どのようなリーダーを私たちが選び、選ばれたリーダーたちが、どんな主義主張を選択するかによって、これからの歴史が拓かれていきますね。

私たち自身の理想をしっかりと見据え、次世代に繋げるべく、学んでいくべく頑張ります。

一緒に頑張りましょう٩( ‘ω’ )و

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